どーもこんにちは、パルプンテトモです。
ほんとにこのHPの更新久しぶりで、……半年以上もご無沙汰だったんですね(°д°)。
いつのまにか夏は終わり冬が訪れ、その冬がそろそろ終わろうとしています。
もーこの半年、無我夢中で現在の職場から脱出することばかり考えてまして、「今までさんざん時間を無駄にしたんだから、このさいもう1年くらい棒に振ってもいいや」スピリッツで頑張ってました。
家族はもちろん親戚も友人もSNSもほとんどやらず、考えることはひたすら「退職後の収入源の構築準備」。
朝昼晩朝昼晩、とにかく手を動かし続けて、おかげさまで一定の成果がでたところです。
あーがんばったな私……。
過去の記事とか未熟で未熟で消したいくらいなのですが、いままでの道のりがわからなくなっても困るんで、とりあえず保存しておきます。
目次
休職中はひたすら転職活動してました
私が休職中にずーーーと取り組んでいたのは「ブログ」構築。
ワードプレスでこのようなサイトを作り、ひたすらパソコンで記事を書いてました。
ですので、ひたすら屋内でパソコンとにらめっこしてキーボードをカタカタやっていただけなので、あんまり外に出ませんでした。
スタバには頻繁に通っていましたが旅行もしてないし、近場の温泉おろか、市内のなんちゃらスポットなどでぜんぜん遊んでなんかいなかったし、毒家族はもちろん知り合いにも一切会っていません。
うつの過ごし方は、基本的に「引きこもり」が最強です。
適応障害の休職って、自分に不利な環境から離れればストレスはなくなるわけですから、しばらくすると意外と元気になるんですよね。
だから、適応障害のうつで休職した人は、時間が経つと余った元気でけっこう遊びになど出てしまって、写真をスマホでパチリと撮ってSNSに投稿、職場の人たちに「あれここいつ○○じゃん?休職中に遊んでるの?」と見つかって問題になることもけっこうあるようです。
精神科でちらっと聞いたのですが、なんでも「休職が必要です」と診断書を書いた医師の責任になるらしく、そろそろ元気になってきた秋頃に「通院は隔週にしてもいいですか」と尋ねたところ、患者を遊ばせないために毎週の通院を義務付けているのでダメですとのことでした。
誰ですか私に迷惑かけてる不届き者は。
同業者が巣食っていそうな場所には近づくな
いくら職場がクソとはいえ、お休みをもらって(減額されているとはいえ)お給料を頂いている身、余計なトラブルはこちらに不利。
職場に責任を全ておっかぶせ、「私は被害者ですヅラ」をして職場を速やかにスムーズに脱出しなければなりませんので、こちらに不利な材料を相手に提供するなんてもってのほかです。
私は
・スタバで毎日ほうじ茶ティーラテをオーダーして小説や雑誌を読みまくって
・家でパソコンを毎日ひたすらいじって収入源の構築に全力投球
していましたが、基本的に札幌を一歩も出ませんでした。
生活の時間帯、つまりサラリーマンが大手をふってそこかしこを闊歩しているような時間帯や曜日を避けて行動したので、半年以上、同業者にエンカウントしなかったです。
土日は1回か2回くらいあったと思いますが、パーフェクトスルー(向こうは気づいたようですが、あんな薄情者どもなど知るか)。
基本的に部屋の中でパソコンとお友達になっていただけだったので、おかしな噂話を立てられることはなくなりました。
近所に同業者の姿はちらほら見かけてたんですけど、転勤になったのか、そのうち見かけなくなりました(笑)。
SNSなんてもってのほか
サラリーマンとの生活時間帯をずらせば、「あれ、あいつうつで休んでる○○じゃね?」と職場でひそひそされる確率はかなり減ると言えるでしょう。
ふだんからくだらない人間との接触や繋がりを絶って面識を狭めておくのが、本来の賢いやり方ですね。
しかし、うつ病というのはとにかく心が弱っている時です。
心のどこかで、「誰かに自分のことをわかってもらいたい」「自分のことを見てもらいたい・思い出してもらいたい」って思ってるんでしょうね。
で、SNSに走ってそれを見た職場の知り合いから密告があった人事課から厳重注意。
甘えてはいけませんよ何考えてるんですか~^^;。
そう思うのだけなら自由ですが、少しでも有利な立場で世の中を生き延びたいなら、SNSに自分のことを連想させる写メ画像を掲載させるなどもってのほかですよ。
どうしてこれだけの我慢ができないんのでしょうか、ウツで休職中の人にとって、すべての職場関係者は基本的に敵くらいの心構えでちょうどいいのです(あくまで「心構え」です)。
「人の不幸は蜜の味」ってことわざ、ご存じですよね。
職場関係者に、自分の家族と同等の思いやりや配慮を求めるなど言語道断です。
この騒動ひとつでせっかく決まりかけていた異動話が流れることだってあるし、異動できても今までとあまり変わり映えのしない職場になってしまうこともあるかもしれません。
精神科の先生に聞くと、かなりこのSNSの写メ画像で、職場から解放された患者が自由を謳歌しているのが発覚するそうです。
私はふだんから人付き合いしてないし、SNSを活用するにもフェイクだらけ、画像などアップしませんでした。
可能な限り自分の情報を伏せて敵の寝首を掻くのが人生を賢く生きるコツだというのに、そのへんのことをわかっていない人が多すぎるような気がします。
引きこもり最強です。
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いちど復職します
職場でいちど適応障害になってしまったら、その組織内での未来は、そんなに長くないのではないかと思います。
一度派手にブレイクしてしまった緊張感や忠誠心は、いくらかき集めてノリでぺたぺた貼り付けても、そうそう以前のような強度に戻ってはくれません。
それに、長期で休んでしまった経験はなかなか忘れがたく、この解放感、もう手放せないじゃないですか★
私は休職中に決心しましたよ、「この間に退職後の収入のめどつけて、それからいちど復職して貯金チャージ、引っ越もして、もっと確かな形でこの自由を再び手に入れてやるんだ!!」と。
復職といっても「新たな収入源構築のための復職」です
新しい収入源の構築は、一応の成功をみましたが、残念なことに退職するにはちょっと金額が足りなかったんですね。
あと半年、いや3ヶ月この成果が早く出てくれていれば、このまま退職&フェイドアウトできたんですけど、その前に人事異動の希望調書の提出期限が先に来てしまったんですよ。
で、以前お願いしていた会社のおえらいさんが、ちゃんと人事課をぶん殴ってくれたようなんですよね(笑)。
このため、こちら側もアホ人事課に対して多少の譲歩は必要になりましたが、それでも勤務先所属を自分で自由に選べる選択肢をもぎとることができました。
ここで私は、「副収入の構築に有利な部署に異動すること」を選択しました。
副業に活かすために、もっと言えばネタにするために本業の異動先を選んだんです。
もちろん守秘義務厳守は当然ですが、そういう意味ではなくてこれからやることのアウトプットの効率化を最優先に、その種類に応じた「ものの見方・考え方を学べる場所」「情報源の確保」などを得るために有利な立場が得られる場所に行きます。
まだ結果は出てませんが、内示があったら書ける……かな。
休職中はとにかく「逃げ道をつくること」に全力を注ぐ
そもそも、職場で欝になるのは「組織内で逃げ場がない」状況になってしまったことが原因です。
人って「先の展望」「逃げ道」を確保できれば、もう少し頑張れるんです。
私の場合は希望は見えてきたものの、今の副収入を本業にするには不安定要素が大きく、退職だけならできるんですが、たぶんその後の生活はカツカツだということがわかってきました。
貧すれば鈍するということわざ通り、心にゆとりをもった退職ライフはなかなか難しいことでしょう。
しかし、人生に必要なのは「好きを仕事に★」や「直感でピンときたらすぐ行動♫」といったふわっとした考え方ではなく、冷徹な知性と緻密な計算です。
どうするか。
私もかなり悩みましたが、ここで「副収入のメドが見えてきた!なんとかなる!」と見切り発車で退職届を出してはいけません!!
ちょっと落ち着いてええええ!!
こうは考えませんか、「環境を変えて副収入を育てるための時間稼ぎ」ができれば、安心して退職届を人事課にブッ刺せると!!
「本業収入」+「副業収入」のダブルインカムで1年2年生活を回せば、逆に作業がはかどって、「余裕のあるリタイア生活」がかえって近くなりますよね!
私は最初の副業収入で「この調子で次と次くらいは、働きながら準備できる!」と確信しましたので、いちど自分に有利な場所に行って環境を変え、表向きは負けてやって、そこで雌伏して時の至るを待つんです!!
日本経済は東京五輪後に必ず傾きますので、数年後、給料を3割カットされた同業者(特に人事課)の目の前で、美味いものをむしゃむしゃ食べてやろうじゃありませんか。
臥薪嘗胆の精神で周到に準備した者と、既得権益の上であぐらをかいて準備しなかった者との差を見せてやろうじゃありませんか。
まとめ:適応障害のウツ休職はプライドを捨てて突破口を開くことに全力を傾けろ
次の勤務先で最短2年、最長3年で退職する予定です。
「どうしても本社がいい、札幌を離れたくない」だの「キャリアを捨てたくない」など、そんなあまっちょろい幻想は捨てるべきです。
適応障害ウツは、確かに本人のクソ真面目さも悪いですが、もっとも根本的には「なんのトクにもならないプライド」をいつまでも後生大事に握り締めていることが一番の障害です。
自分が本当に望んでいるのは何なのか、そこをしっかり見極め、余計なプライドを捨てて目標を定めてそこに向かってざくざく掘り進めていくべきです。
休職中なら、そのための時間はいくらでもあります。
私は「経済的に余裕のある状態での退職」を最優先したので、本社もキャリアも二の次に回せるくらいのブレなさをやっと身につけることができました。
休職期間含めてまるまる3年かかりましたが、それだけの時間をかける価値はあったと今は思えます。
この3年で、得たものは本当に大きかったと思ってます。
おえらいさんが人事課を蹴っ飛ばして、私の希望どおり「○○でいい?」と言ってくれたおかげで、あと数年だけ頑張れることに気づきました。
本当にありがたいことです、首の皮一枚繋がりました。
しかし、あのおえらいさんカードは、二度と使えないものなので、文字通り「最強にして最後の切り札」だったんですよね……。
3月にはお礼に行かなきゃな。
部下をいじめるバカには思い知らせてやれ!!
毒親持ちで親を頼れない私は、職場とのやり取りの仲介を、労働問題が得意な弁護士さんに依頼して一切任せました(異動できたため、結局は訴追まではしなかったですが)。
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※結局着手金のみで終わりましたが、10万円+消費税でした★
正式依頼まではしませんでしたが、こうもモらモラされる人生を送り続けていると、相手の人生を一部潰して自分が何をしているのかをわからせて差し上げる必要も出てくるものです。
合法的に証拠をそろえるのならこちらに相談!!それから弁護士さんに突撃!!
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プロのアドバイスを聞くだけでも参考になりました。
依頼料は、動かぬ証拠を握ってつきつけ、慰謝料の中に算入しましょう。