毒親やモラハラ加害者の怒り方の基準とは 向上心がない人たち

こんにちは、本日の北海道はたいへん寒く、6月の半ばというのにヘたれてストーブ点火したトモです。

もうダメ。この寒さ我慢できません無理です。なにこれ。

 
さてトモは、あらゆる心理テストや自己分析診断、果ては占いにおいて「あなたはたいへんな理想家です。努力を厭わない面は素晴らしいですが、もうちょっと地に足つけましょう」必ず言われるくらい向上心がやみくもに高い方です。えっへん。
 
 
 
 
毒親及びモラハラ加害者(こいつら根っこは一緒!)と、それらの被害者の関係性に共通していることのひとつに、「向上心の有無」があると思うのです。
 
人として「自分を最高のビジョンに持っていく」という向上の努力を捨てた輩と、多少無謀なくらい「なれる最高の自分を目指したい!」と無駄に燃える人間がミーツした場合、はたしてどのような悲喜劇が繰り広げられるのでしょうか。
 
 
 

毒親やモラハラ加害者の怒りの基準

毒親やモラハラ加害者にはそもそも「向上心がない」

いきなりの結論ですが。

毒親やモラハラ加害者という生物には「向上心」というものがそもそも欠如しています。

答えは簡単、「向上心を出し切った最高の自分」にまでならなくても、別に生活に困らないからです。

元スタンフォード大学教授の言葉「良好(グッド)は偉大(グレート)の敵である」という言葉がトモはとっても大好きなのですが、ある程度の安定を確保できると、向上心が消え、ほとんどの人は最高の自分になるための努力をやめてしまいます。

ただ暮らしていくだけならいいのですよ、「良好(グッド)」の状態で一生を甘んじていても。

仕事はちゃんとこなせますので、収入はあるし、社会的にもひととおりのスキルやマナーを身につけていますので、誰かに迷惑をかけるということはあまりないでしょう。

なので、向上心・努力・情熱を失った毒親やモラハラ加害者は、基本「怒る」ということをしません。

理想も失ってしまったし、若い頃のエネルギーも出てこなくなったので、現状とのギャップを感じることができないので、不満を感じなくなるからです。

そうして単なる「事なかれ主義」の人になり、人間がまるごと小さくなっていき、いつしか存在感の乏しい人になってしまうのです。

いくら毒親だろうがモラハラ加害者だって、若いうちは誰しも「最高の自分」になるよう夢見ていることでしょう。

しかし、時間が経過するにつれて、大多数の人がその機会もエネルギーも失っていき、現状維持にのみつとめるようになります。

そしてあきらめずに「偉大(グレート)」「最高の自分」を目指す誰かに必ず抜かれていきます。

気概を去勢された毒親・モラハラ加害者の怒りの牙は、こうした「諦めない人」に対してむかれるのです。

※向上心をなくした人たちは自分の同族ですので、お互いがお互いを否定しないという「群れ」の仲間です、自分たちと同じくだらない人に対して手出しはしません。

すんませんが自分でも理想家な分、努力家な面はあるなーと思ってるので(方向性はこの際置いといて^^;)、「現状に甘んじて同じ場所で妥協して安住してる人」の気持ちがトモには実はぜんぜんわかりませ~ん♪
本当にわからないんですよ、奴ら普段何してるんだろう? 何が楽しくて生きてるんだろう? って思います。
よっぽどヒマもてあましてるんじゃないかなー。

自分より弱い子供や部下を徹底的にやり込めたくて仕方ない

毒親・モラハラ加害者たちは、自己の伸びしろをなくしてしまったのはほかでもない自分が決めたことだというのに、自分の怠惰に対し怒るのではなく、周囲の人や環境のせいにするようになります。

もう「自分で処理しよう・我慢しよう」というシナプス回路そのものが凍結されているのです。

そういったが、理想を失わず努力をし続ける人をごく間近に見たときに、どういう態度を取るかというと。

向上心を捨てた人は、それを保ち努力している人に対し、「他人を自分の意見に従わせてこてんぱんに服従させたい」というそれはそれは情熱的な欲求を、親や上司・先輩という立場を利用して「しつけてやる!!」というもっともらしい名目のもと、弱そうだから、ムカツクから、そんな理由で徹底的に糾弾し、重箱の隅を突くように欠点をあげつらい、ねちねちと発言の揚げ足を取り、顔を合わせるたびに泣かせるのです。

やっぱり動機は嫉妬ややっかみ、もしくは「なんかあいつすげー目障り」みたいな根拠なんか全くどこにも見当たらないよーなくだらない理由です。

しかも、こういうことをそれはそれは飽くなき情熱を持って繰り返し繰り返し継続的にしつこくねちっこく驚くべき忍耐強さと粘り強さをもって長期的にやってきます。

こちらが何をどう説得しても弁明しても徒労に終わります、だって思考回路がすでにそのように出来上がってしまっているからです。やっかみとか嫉妬とか、どーせそのへんです。

奴らにとって、向上心を持っている人間は、「ギルティ」つまり罪人と同様なのです。自分がかすむから。

そんな情けない自分の考え方を変えよう/自分の感情をコントロールしようなどという前向きで健全的な、一般的に「自己向上カテゴリ」に属する努力一切は、「安定」を確保した時点で、すでに放棄しているのですからお手上げです。

自分にとって絶対安全圏の「モラテリトリー」に引きずり込む

こんな人非人、さっさと社会的に抹殺されればいいのですが、毒親やモラハラ加害者は、人目につくようなところでそんないじめをするほど肝が据わっておりません。

そして、もちろん誰でもいいというわけではありません。

だいたいが、家庭内であったり、職場では上司部下・先輩後輩といった、

タテの力関係のラインに組み込まれて逃げられない、

そして自分より弱くかつ抵抗しないと判断した相手

を狙います。

だって向上心もなくしたし努力もしてこなかったんだもん、本体は弱い弱い。

奴らは自分の弱さやダメさを世間に悟られないよう、獲物を捕まえた動物がそれを巣穴に持って帰ってゆっくり食べるように、自分の立場が、相手より強い関係性を確保できる密室でモラハラ・パワハラは行われます。

被害者がたまりかねて家を出たり、休んだりすることが出てきますが、そんな時でさえ「やりすぎた」と思って反省することはありません。

ちょっとだけ態度が柔らかくなったり、うわっつらだけの謝罪の言葉をかけることがあるかもしれませんが、それも被害者をちょっと安心させておいて、あとでゆっくり安全な場所でふたたび精神的リンチにかけるためです。

甘い言葉を尽くしてあの手この手で獲物をなだめ、被害者を自分のテリトリーに連れ戻し、そこでふたたびリンチにかけるんですねえ…。

毒親やモラハラ加害者の怒りの基準とは、向上心を放棄したことに起因する「自己中」「自己愛」「独善」です。

怒らない人は独立の人格として認められない

モラルハラスメント被害者というのは、向上心をまっすぐに持ち続けたがために、加害者にさんざんいわれもなく叩き伏せられ続けてきた人といえます。

こういう人たちは、やられてばかりで怒り慣れていないので、他人と意見が食い違うと、まず自分の要求をリセットしてしまおうとしがちです。

孤立を恐れるあまり、必要もないコトまで受け入れようとしてしまうのです。

モラハラ被害者さん、心当たりありすぎますでしょー? ダメですよー。

向上心の強い人は、「最終ゴールである理想の自分」と「現状」との間の距離・ギャップから怒りのエネルギーを生みだします。

心理学的に分析すると、人は理想に近づこうとするときに、一番エネルギーが出るそうです。

まあちょっと、理想が高すぎて努力家がすぎるから、現実を直視することを後回しにするため、毒親やモラハラ加害者にさんざっぱらにやられるんですけどさ。

哲学者三木清の「人生論ノート」の中の’怒について’の項目に、

「神でさえ自己が独立の人格であることを怒によって示さねばならなかった」

という、非常に印象深い一節があります。

自分の主義主張を提示し、自分が何者であるかを表現するために必要な時にしっかり怒らなければ、いつまでも毒親やモラハラ加害者のおいしそうな餌食のままということなんです。

怒るということはものすごいエネルギーを使うのですが、その分、自分の存在感を周囲にはっきり示すことなんですね。

向上心のある人の怒りの基準とは、一括りにするのは難しいですが、おおむね向上心を通して社会に貢献する「利他」「義」「公」にまとめることができるでしょう。

せっかくの尊い理想()も、つまんねえ奴らに踏みにじられてはおしまいです、単なる絵に描いたモチ、何にもなりません。

 

怒りを正しく表現しよう

理不尽な目や不愉快なことにあうことは、人生にはどうしてもありますよね。

 
その時にまともなあなたは、どのような対応をするでしょうか?
 
「最高の自分」をあくまで目指すなら、そのこともちゃんと相手に伝えましょう、怒りはコミニュケーションツールのひとつでもあります。
 

最近では、このような怒りの感情を表すことが、ポジティブな感情や創造性を成長させるという調査結果が出ています。

しかし今でも「感情を表に出すのは良くないこと」「大人は感情を抑えるのが美徳」という昔からの考え方から、怒りの感情そのものを否定してしまう人は数多くいます。

そこで今回は、怒りの正しい表現の方法をお伝えします。
 

まずは警告から

あまり怒り慣れてない人っていると思いますが、そのシーンは怒りを表現するべき場面かどうかを、真っ先に考えましょう。

一度怒ってしまうと、なかなか止まることは出来なくなりますので、一番はじめに怒るべきかどうかを考えましょう。
 
怒ってしまうと、普段どおりの判断や反応などが、なかなかうまくできません。


それにあなたが急に怒りだすと、相手もつられて怒ってしまうかもしれません。

相手の非礼や無礼が原因だとしても、「怒りを出した後に、それを収める」というところまでシミュレーションしておかないと、のちのち怒った側が損します。



まずは自分の感情が高ぶっていること、それを冷静に相手に伝えましょう。
 
 
 
それにより、相手はあなたが伝えようとしていることをなんとか汲み取ろうとする心の準備をしますので、収集のつかない事態にはなりづらいです。
 
毒親やモラルハラスメント加害者のような人格障害ではない、まともな人ならば。

ゆっくりと少しずつ

一般的に、怒っている人は早口で喋り、動作も大きくなります。その結果、言い過ぎたりやり過ぎたり、ということになります。


本人ですら後で、「あそこまで言うつもりじゃなかった」「ここまでやる気はなかった」と後悔することも珍しい話ではありません。
 

すぐカッとなる人はどんどんエスカレートしていってしまいますし、逆にそれが心地よくなったりしますので、ゆっくりすることだけはなんとか意識しましょう。
 

怒りをおもてに表現した結果、どのような影響を周囲の空間に与えているのかを、常に気を配りましょう。
 
状況が好転してるか悪化してるかは、目の端に映る他の人たちの表情で、だいたいわかるはずです。
 
よくない空気になってきたら、どうにか話をまとめて、もう中断しましょう。
 
 


必要な時には、上手に怒りましょうね。
 

まとめ

あきらめずに向上心を持ち続けているあなたは、きっと「怒りのエネルギー」を「正しい方向」に使うことができるでしょう。

でも、少しでも明日は今日よりも良くなりたいと願う人が、なにかの拍子で向上心がない人たちの集団に入れられてしまうと、遅かれ早かれ孤立し、心身を病んでしまいます。

40を過ぎると、もう組織内でははっきりとその振り分けが終わりますので、「ここは違う」と心が感じたら、一刻も早く脱出の手立てを考えましょう。

早めに環境を変え、活躍する場所を移動しましょうね!