傍観無罪

そんな天国なのか地獄なのか、なんとも曖昧な生活も、とうとう終わりを迎えます。

父が単身赴任先から実家に戻ってきたのです。

マジかよ。ちっ。 

やりたい放題のニート生活、撤退の狼煙が上がりました。

デブスで交友関係ゼロでコミュ障の私は結婚もできない、かといってこれから数年後には定年退職する父にいつまでも頼って生きるわけにもいかない・・・。

前門の虎、後門の狼。

・・・やるしかありません。

本格的に勉強して就職する。

前進するしかありません。

リビングや台所に居る父を避けるように、その年から私は猛烈に就職勉強を始めました。

1日、14時間。

高校受験よりも大学受験よりも、人生で一番勉強した1年間でした。

あれほど規律正しい生活を送った時期はないです。

つーか、高校受験や大学受験でこのくらいの根性見せろよ私(´;ω;`)


単身赴任を終え、実家に帰ってきた父は私を溺愛しました。

上げ膳下げ膳、布団の上げ下ろし、家の掃除、猫のえさやりはもちろん、行きたいといえば就職予備校にもいくらでも通わせてくれたし、お小遣いはもちろん、外を歩くための服も買ってくれました。

父は、さながら夫(私)に仕える主夫のようでした・・・。

母から愛想を尽かされて離婚し、大学を中退した息子を勘当していた父にとって、自分のメンツを支えてくれる存在は、もはや私しかいなかったからです。

愛情からではありません。

まあなんて罰当たりな・・・・・・なんて今は露ほども思ってませんが(当時は多少の罪悪感はありました。さすがに)、この時の根性と集中力をもっと早く発揮できていれば、色々なことがもっと早いうちに吸収できたんだろうなー、何てもったいない・・・・・・。

詳しくは父と絶縁するところで書きますが、
10代のうちから「教育」「しつけ」という名目のもとに、
自分が自分の人生を生きていくため、本当は目の前に豊富に並べられていたありとあらゆる選択肢をことごとく奪われた恨み
というのは、頭ではわからなくても、心はものすごーーく覚えていました。

まだ年齢一桁の頃から
『こいつだけは、この男だけは生涯絶対許さん』

と、何度も何度も復讐を誓っていました。

この男にだけは、いつか必ず目にもの見せてやる。
その時に許しを乞うても、
その下げた頭をスケート靴を履いた足で
(←このあたりの表現が小学生ですね^^;)
思い切り叩きつぶしてやる。
必ず、
いつか必ず、
その思い上がった頭の中身を地べたにぶちまけてやる。
今のうちに覚悟しておけ!!

 

・・・などということを、ごくごくふつーの一般家庭の女子小学生に対して、ここまで繰り返し心に誓わせる父親って、一体何なんでしょうね?(爆笑)

約30年たった今、
スケート靴を履いた利き足で父の顔面に16文キックをぶちかます夢
は叶いませんでしたが、

父の積年の夢だった「娘の稼ぎと介護にのしかかった、悠々自適の老後ライフをぽいっと犬に食わせ、

父のプライドとメンツと

親戚内の立場を

木っ端微塵に粉砕することには

成功しました。

( ゚д゚)、ペッ。 

いえいえ、自分から能動的に行動したわけではなく、父がもはや取り返しのつかない年齢になってから、父が好き勝手にしでかした顛末をただ傍観、後始末その他もろもろの全てを放置して一切関わらずにスルーしていたら、自動的にこうなっただけです。

私、Not Guilty。

なんというか、こうしてみると、自分の父親が、自分の仇敵ようですね。前世の因縁とか、なにかあったのかな^^;

ぐしゃぐしゃの涙を流しながら一人で屈辱に耐え、
打ち震えている30年前の自分にこう言ってあげたいです。


『今はもう、あなたの目の前の仇は勝手に自滅しているから、どうか自分の人生を生きて欲しい』

でも、あの環境では無理だったろうなあ・・・。どうしようもありませんでした。

『選択肢を選ぶ選択肢』があることさえ気付かなかったのですから。

団塊の老害世代は、精神年齢はまあともかく、身体的な成人式は半世紀以上前に済ませているはずですので、テメエの人生にはテメエで責任をとってもらいましょう。

アラフォー世代の私たちには、まだ時間が残されています。

自分の不徳かつ自分の自由意思で泥舟と一緒に沈んでいくこいつらを視界の端で眺めて悼みつつもそれはそれこれはこれ。

あ、子供の頃よく言われた「よそはよそ、うちはうち」というフレーズをこの機会にお返ししするのもいいですNE★

残された時間という資産の中で、自分が幸せになることを優先に方針を転換し、あらゆる手を打っていきましょう。

まずは自分を助けましょう。