節分・豆まきの起源について

そろそろ節分ですね。

鬼は外、福は内といって豆をまきます。

でも、この鬼って、もともと誰だったのでしょう?

節分・豆まきの起源について。
この世に、意味や意図のないものはありません。

誰かが、たいていは時の為政者や権力者が、 自分に都合よく制度やルールを作り、体制を整えるため、風習として定着させる。

何も知らない庶民が、その本来の意図や狙いを知らずに、 ありがたがって「呪い」を繰り返し増幅させる役割を担う…。

日本全国が、こういう残酷な呪術を行う日です。

この日本の国を治めていたのは、今は国津神と呼ばれる、土着の先住民族たち。

そこへ、南の海からやってきた人々が、彼らに対し、土地を譲れと脅したのです。

国津神たちは、泣く泣く政権交代を受け入れたのでした。
相手の血も、自分たちの血も流すことのない決断をしたのです。

ただ、いつの日か この国をもう一度わたしたちに返してくれるようにと頼みました。
南からやって来た一族は承諾しました。

そして、いつになったら返してくれるか?と問えば、炒り豆から芽が出た時にと答えたのです。

炒った豆から、芽が出る筈もないのです。

それから、国津神たちは、いつしか「鬼」と呼ばれるようになりました。

それから毎年、年の節目になると「鬼は外、福は内」と叫んでは、
「マダー?まだ返してくれないのー?」と山から下りてきて家の近くまで来た鬼たちに向かって、ほーれ、まだ炒り豆からは芽は出ていないぞ、 お前たちの出番はまだだぞ、と 鬼たちに炒り豆をぶつけて追い出すのでした。

節目の節分に行う理由は、新しい節目は流れが変わりやすいからです。
東洋系の占いは、節分の日を境に年が改まります。

流れが変わらないようにと、この日に鬼を追い出します。

だから、この日は、煎豆ではなく、

豆から芽を出した大豆もやしを食べましょう。

「鬼は外」ではなく「鬼は内」、まつろわぬ神々を迎え入れる日にしたいものです。