勤続15年くらいになって、新規採用ちゃんが課に配属になると決まった時、どうだったかなあと思い返すと、
誰ひとり採用前に職場に挨拶に来ている人などおりませんでした。
そりゃそうです、だって1日付で社員になるんですから。
その前に、つまり正式に社員になる前に、職場に挨拶に行くなど噴飯もの。
それを「世間の常識」だなどと言い放った父は、
大正生まれの祖母に偏愛された、
実は世間のことをそれほど知らない単なる長男坊ちゃんのマザコンジジイの世迷言
だったということです。
職場の方々は、私のことを一目見て、たぶんなんかよくわからないけどものすごくひどいのが来たという、戦慄が走ったと思います。100%。
ああ恥ずかしい。思い出したくないorz
そんなこんなで、誰もが嫌がる激務の係に配属になったコミュ障デブスの私。
実際の仕事ぶりはどんなだったかといいますと。
はじめてのお仕事
結論だけ言えば、
メキメキ仕事力が鍛えられ、その後の会社員生活における仕事体力や段取り構成、電話突撃など、今後一生働いていく上の基礎力を、ほぼこの係で学びました。
仕事は
先手必勝、
一撃必殺、
正々堂々と卑怯根回し
の3点!!!
このあと、いくつかの所属を回ることになるのですが、今思い返しても、どの所属に配属になっても困った記憶がありません。
このことについては本当に感謝しています。
逆に、向上心のない事なかれ主義の上司・先輩からは、「自分の言うこと以上のことをして、自分のかっこいいリーダーシップを発揮する機会を妨げる、可愛げのない使いづらい部下」と認識されてしまい、モラハラの遠因になっともいえるでしょう。
このあたりの、上司の心の機微というものが、まだよくわかっていなかったんですよね^^;。
そしてこの後、天狗になってひどい転落人生を歩むハメになってしまうのですが、それはまたおいおいお話します。
話は戻りますが、モラハラの被害者というのは、たいへん我慢強い特性があり、普通の人より軽く10倍20倍の忍耐力がありました。
そうでなけりゃ、モラ野郎どもと何年も何十年も付き合えません。
私の場合、親が既にモラ畜生で、幼少期から自尊心撲滅教育を受けていたので、多少の蔑みなんて、もうへっちゃら。何を言われようが、何を今更。
忍耐力・耐久力にかけては生まれながらのサラブレッド(嫌)です。初期パラメータはものすごく高いです。
この係では、私のこの無意味に限界値の高い忍耐力がいかんなく発揮され、どれほど先輩方を苛立たせようと同じことを何回言わせようと、決してめげず、仕事を途中で投げ出すことはなかったです。
どんなに怒られてもどんなに辛くても「ああこれが社会で働くということなんだな(私、ひとつ賢くなった。嬉しい(*´∀`*)☆)」くらいの感覚でスルーしてました。
仕事をやる気は満々だし、
簡単にめげないし泣かないという点では見所はあったのかもしれませんが、
何かが致命的にずれているのです。
どれだけ人間としての自尊心を親に踏みにじられてたんでしょうね私。
ふつうの家庭に育った人なら、自分から希望した場合でもない限り、ドロップアウトする人が多かったでしょう(脱落者は多かったです)。
必死で努力した結果
どんなに怒られてもやられてもあんまり我慢強すぎてケロっとしているため、仕事の吸収は早かったです。
もともと空っぽでしたしね。
先輩たちもたいへん忍耐強かったとは思いますが、それにクソ真面目にくらいついていったため、先輩方も見捨てるに見捨てられなかったのでしょう。
トモさんは限りなくお人好しチックで頑張り屋だけど、何かがオマヌケで、ハラに力の入らないやられっぷりがコミカルだなー☆
なくらいに周囲の目には映ったのかもしれません。道場が引けませんでした。
周囲は
「ああ、あの係で何かまた漫才やってる」
くらいの認識だったのかなー(遠い目)。
・・・実情は、生まれてこのかた、実の両親にもけなされまくりで、ろくに褒められたことがなかったので、
やればやっただけ成果が出る、
終了するという達成感を得ることができる、
少しでも何かの役に立ったと感じられるのが、
ただただもうひたすらひたすら純粋に嬉しかったのです(涙)
だから、仕事がんばりました。
潜在意識に「役立たず」とさんざんインプットさせられてきた自分が、社会的に有用な人間になっていく自己成長の手応えが、心地よくてたまりませんでした。
しかし、仕事というのは、正確にこなしてなんぼ、締切は守るのが当たり前、そして仕事といえど人とのやりとりの間でこなすものなので、コミュ障で、あまりに社会的基本スキルの低い私の評価は低かった。
取引先から苦情もあったらしく、やっと人並みに仕事をこなせるようになったと思い、来年はがんばるぞと思っていた矢先、私は2年半で人事異動になったのでした。
後任でオチがついた
あと1年あれば・・・と思うのですが、間に合わなかったんですね。
忍耐力以外は低パラメータの私に引導を渡したのは、係長。
「やる気はあるけど、だめだこりゃ」という判断だったのでしょう。
この係長は仕事ができる分、非常に上昇志向の強い人で、今思えば自分の仕事スタイルの美学に酔っているようなナルシスト傾向がありました。
「花形部署」の自意識が高いため係員を育てる気はあんまりなく(私は新規採用でしたし)、「ある程度の完成品」が欲しかったのです。
ぶっちゃけデブスと一緒に仕事したくなかったんでしょう。
美しくないから。
しかし、天は見ていました。
私の後任には、他部署からスカウトしてきた見た目はスリムで年相応におしゃれな可愛らしい若い女性が来ましたが(業務経験が5年くらいある)、仕事が大嫌いな人でした。
蓋を開けたらあらびっくり、
仕事の目処もたてずに休みまくりーの、
無断欠勤しまくりーの、
仕事するのが嫌いなのでこの激務の係を脱出するためにできちゃった結婚を敢行、
あらゆる特別休暇を使い倒して出勤回避、
その特別休暇中(確か妊娠障害休暇)に元気にテレビ出演、
所属長みずから自宅に出向いて厳重注意、
etc・・・ ←ほかにもありすぎて書ききれない
という、伝説級の武勇伝を残し、2年で所属替えになりました。
あっ歯っ歯☆